第7回 眼鏡代より子供の「学び」を|両親のお金の使い方の優先順位

第7回 視力検査と眼鏡 原点と20年の歩み
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お金の使い方に迷ったとき、判断を分けるのは金額ではなく優先順位です。

小学6年生のとき、私の両親は「眼鏡代を抑えるか、子どもの好きなことを続けさせるか」という選択を迫られました。決して裕福ではない家計で、両親は迷わず後者を選びました。

これまで私の幼少期の貯金手仕事のエピソードをお話ししてきましたが、今回は今の私の価値観を形作った「両親のお金の使い方」について触れたいと思います。

この記事の要点

  • 小学1年生で視力が低下し、2年生で初めての眼鏡を作った
  • 成長期のため視力の変化が止まらず、高学年では半年に一度の買い替えが必要だった
  • 眼科医から両親へ「読書や勉強を減らすか、買い替え続けるか」という問いが投げかけられた
  • 両親の答えは「眼鏡は何度でも買い替えます」
  • 眼鏡代は出費ではなく、子どもの未来への投資だった

小学校2年生、初めての眼鏡|半年ごとの買い替え

私の視力が低下し始めたのは、小学校1年生の頃でした。2年生になる頃には初めての眼鏡を作ることになりました。

今でこそ数千円で眼鏡が作れる時代ですが、当時は眼科の診察も子供の医療費助成が今ほど手厚くなく、眼鏡そのものも非常に高額な買い物でした。

さらに、成長期ということもあり、視力の変化は止まりません。高学年になると、わずか半年に一度のペースでレンズやフレームを更新しなければなりませんでした。

家計にとって、その頻繁な出費が決して小さくないことは、子供心にもなんとなく察していました。

医師から突きつけられた、究極の選択

小学校6年生の時、眼科の先生から両親にある「問い」が投げかけられました。

「このままの生活を続けると、近視はさらに進行します。今のうちに読書や勉強の時間をぐっと減らして、進行を遅らせるか。それとも、近視が進んで眼鏡を何度も買い替えることになっても、今のままの生活を続けさせるか。どちらにしますか?」

整理すると、こういうことです。

選択肢守られるもの失われるもの
読書や勉強を制限する視力、そして眼鏡代好きなことに没頭する時間
今のまま続けさせる好奇心と学びの機会半年ごとの眼鏡代

※当時の診察でのやりとりに基づく記憶です。近視の進行と生活習慣の関係については、現在の医学的な見解と異なる可能性があります。

両親が迷わず選んだ答え

医師から突きつけられたこの究極の選択に、両親は迷うことなくこう答えました。

「眼鏡は何度でも買い替えます。だから、今のまま勉強も読書も続けさせてやってください」

その選択の通り、私の近視はその後も進行しましたが、私は大好きな読書や勉強を一度も制限されることなく、心ゆくまで没頭することができました。

「眼鏡代」は出費ではなく投資だった

今振り返って思うのは、両親は「眼鏡代」を単なる出費と考えていたのではなく、私の未来に対する「投資」と考えてくれていたのではないか、ということです。

  • 目先の出費を抑えるために、子供の好奇心の芽を摘まない。
  • 価値があると思うことには、たとえ家計が大変でも迷わずお金を出す。

両親が示してくれたこの姿勢は、私にとってどんな教育よりも価値のあるものでした。

注目したいのは、両親が節約をしない人ではなかったことです。 手提げ袋は母の手作りでしたし、学習机は私自身に貯めさせました。徹底して切り詰めるところは切り詰める。その上で、ここぞという一点には迷わず出す。削るからこそ、出すべきときに出せたのだと思います。

守るべきものと投資すべきものを、どう見極めるか

両親の判断を今の言葉に置き換えると、次のような基準になると思います。

  1. 後から取り返せるか — 眼鏡は何度でも買い替えられます。しかし小学生の時期の好奇心は、あとで買い直すことができません
  2. 本人が望んでいるか — 親が望むことではなく、子ども自身が没頭していることだったから守る価値がありました
  3. 削る場所を別に持っているか — 何にでも出すのではありません。手作りできるものは作り、貯められるものは自分で貯めさせる。その余白が、ここぞという支出を可能にします

幸せなお金の使い方とは

お金を増やすことは、それ自体が目的ではありません。増えたお金を「何に使うか」こそが重要です。

もしあの時、両親が「眼鏡代がもったいないから本を読むな」と言っていたら、今の私はなかったでしょう。

自分のやりたいことを尊重してもらい、そのために惜しみなくお金を出してもらったという感謝の記憶は、今の私の「生きたお金の使い方」の指針になっています。

よくある質問

Q. お金をかけるべきかどうか、どう判断すればよいですか?

私は「後から取り返せるかどうか」を基準にしています。買い直せるものは後回しにできますが、その時期にしか得られない経験は取り返しがつきません。両親が眼鏡ではなく学びを選んだのも、この違いだったのだと思います。

Q. 家計に余裕がなくても、子どもにお金をかけるべきですか?

我が家は決して裕福ではありませんでした。それでも出せたのは、他の場所を徹底的に削っていたからです。すべてに出す必要はなく、何を削って何に出すかを決めておくことのほうが重要だと感じています。

Q. 読書や勉強で近視は進行するのでしょうか?

当時、眼科医からはそう説明されました。ただしこれは数十年前の診察でのやりとりであり、現在の医学的な見解とは異なる可能性があります。 実際の判断は必ず眼科医にご相談ください。

Q. 子どもは親のお金の使い方を見ているものですか?

見ていると思います。私は「家計が大変そうだ」と子供心に察していましたし、その中で両親が何を選んだかを覚えています。言葉で教えられたことより、選択の場面を見たことのほうが残りました。

まとめ:削るからこそ、出すべきときに出せる

「守るべきもの」と「投資すべきもの」をしっかり見極めること。

両親が眼鏡を作り続けてくれたあの日々は、私が投資家として、そして一人の人間として大切にしたい「優先順位」を教えてくれました。

次回予告次回は、その優先順位を自分の財布で実践した高校時代の話です。月3000円のお小遣いと、1枚3000円のCDをめぐる3年間についてお話しします。

※本記事は個人の経験に基づく内容であり、特定の金融商品を推奨するものではありません。また、医学的な助言を目的としたものでもありません。

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